夢は大きく歩みは手堅く

トリハダ代表 野島優一のブログ

古いとか新しいとか言ってる場合じゃないのかもしれない

先日ファッション業界に関わりのある人から聞いたのですが、今の20歳前後のファッションモデルの人は「自分が知らないもの = 新しい」という感覚があるそうです。

 

具体的に言うと、例えば最近もよく見られる80年代風のレトロなファッションは、彼らにとっては知らないものだから「新しい」ということになるのだそうです。別にそれがもともと80年代に流行っていたものだから古いよね、とか、その古めかしさが面白いよね、とかいう感覚ではなく、単に「自分が知らない」から新しいものとして受け止めるのだそうです。

 

なるほどなーと。まぁわからないでもない。誰だって、自分が生きていなかった時代のファッション、たとえば戦前とか、もっといえば江戸時代の日本の武士の服装とかを初めて目にしたときは、「自分が知らないもの」なわけです。それを古いものとする認識は大抵は後付けのはずです。江戸時代の服装の挿絵や写真を見つつ脇にある「これは何年ごろの武士の日常的な服装で…」みたいな説明を読んで、あるいはそう話す先生の説明を聞いて、脳がそう理解するのでしょう。

 

でもその説明なしに挿絵や写真だけ見て、そのまま受けとめたら、それは新しいものとして認識するのかもしれないなと。

 

とはいえ、これだけ情報が溢れて、ネット上にも古い写真がバンバン共有されるような時代では、世の中のほとんどのものについて(特に文化的なもの、人間の身の回りのもの)、「これは古いもの」と瞬時に断定されてしまうので、見たものを自分の感覚だけで受け止めるのは難しくなっているとは思います。

 

似たような事例がもうひとつ見つかったのでリンクを貼っておきます。タイトルが的確に内容を説明していますが、ブログを書いた「私(40歳)」に似てゲーマーになった「息子(11歳)」が、レトロな名作ゲームをプレイしてどんな感想を抱くのかがとても細やかに書かれています。ていうかこの人すごく文章が丁寧というか、こういう力のあるブログは読んでいて面白いですね。

jp.automaton.am

 

注目してほしいのはこの一言。

息子「これ、8bit風のグラフィックにしてるんだね」

…うおーw。

このファイナルファイトというゲームは1990年前後に出たので当然8bitのグラフィックなわけです。わりとリアルなドット絵みたいに言うこともできるかもしれません。でもそれが11歳の少年にはそう思えるのです。

続いて父親の心の葛藤が綴られます。わかりすぎて痛いくらい。

いやいや息子よ、それは初代ファミコン時代のタイトルだからそりゃそうだよ、「してる」んじゃなくて「当時の仕様、限界」だよ、と即座に返したかった。が、同時にハっとするものがあった。一周回って「8bit風デザイン」を取り入れているタイトルが多い現在において、ゲームウォッチ時代からのゲームの進化を知っている我々世代とは違い、すでに物心付いたときからフォトライクなゲームを知っている世代にとっては、「8bit」は「レトロなゲーム感のリブート」ではなく、「よく見るの表現手法の一つ」でしかない、ということになる

先ほどのファッションモデルの人が、過去に流行ったファッションを「新しい」と捉えるのに対して、ここでは過去のグラフィックデザインが「よく見る表現手法の一つ」として捉えられています。それは完全に一致する捉え方わけではないし、前者は肯定的で後者は否定的という違いもあります。が、単に「過去のもの = 古い」みたいな感覚がない点は共通していて、2つの話が繋がって思えたのでした。

結局いつの時代のものであれ、いいものはいいしそうでないものはそうでない、ということかなと。そうなると、「古い = よくない」「新しい = いい」という考え方は辞めた方がいいというか、なんか損するんだろうなと思います。古くたっていいものがあれば使えばいい、楽しめばいいんですよね。

たぶんある程度年齢を重ねて、世の中にあるものの何が古くて何が新しいのかがわかってくると、どうも「古い = よくない」「新しい = いい」という図式が無意識にできていってしまう気がするので、なるべくそれを捨てて自由になって、自分の感覚を大事に生きていった方が、少なくとも人生楽しそうですね。