夢は大きく歩みは手堅く

トリハダ代表 野島優一のブログ

文章書くのも書き方によっては1つのキュレーションだなと思った話

DeNAの運営していたエセ「キュレーション」メディアの問題のおかげで悲しいことにかなりのマイナスイメージが付いてしまったと思われるキュレーションという言葉があります。もともとはたしか美術および芸術の世界から出てきた言葉で、美術に関する専門知識を持った専門家が、美術史の流れや最近の芸術における動きを踏まえ、その時々において意義のある展示を企画する仕事のことを指しています。それをやる人をキュレーターと呼びます。

と書いてみたものの僕もまだまだキュレーションって何なのかを勉強している段階であまり詳しいことはわかりません。ただ、単に好きな作家や作品を選んで好きなように並べて展示するのではなく、いろいろな背景や流れを踏まえ、それぞれの作家や作品の位置づけを踏まえ、その展示の意図がもっとも伝わる、あるいは作品の価値が鑑賞者にもっともよく伝わる展示形式なり順番なりで展示を作っていくわけです。(それは膨大な見識を踏まえてこそできる仕事なので素人にできるものではなく、その意味でDeNAが運営していたエセ「キュレーション」メディアの記事の多くはキュレーションではないただのコピペ記事だったことを書き添えておきます。キュレーションという言葉の価値を守るために。)

で、実はそれって音楽の世界のDJも似たようなことをしているのです。彼らはただ単に好きな曲を好きなように流しているわけでは必ずしもない。もちろんそういう人もいると思いますが、それだけだとなかなか聴衆は盛り上がらないらしいのです。過去の様々な音楽に関する知識と経験を踏まえつつ、アホみたいな数の曲からその場やテーマにふさわしい曲を選び(テイ・トウワというミュージシャン/DJは「これだという1曲を見つけるために、100や200の楽曲を聞くのが僕の仕事」とインタビューで答えています)、もっとも聴衆が盛り上がる流れでプレイしていくわけですね。これは音楽のキュレーションだと僕は思っています。

そしてブログを時々書くようになってから思ったのですが、文章を書くのもある種のキュレーションだなと。

いや正確に言うと僕がそういうタイプの文章をブログで書いているというだけかもしれません。僕の場合はあちこちで読んだり見聞きしたりしたことが繋がったときに、それを忘れないためと自分の頭を整理するために、その繋がったいくつかの情報を整理して書き留めています。過去の記事を見てもらうとよくわかると思います。それって、1つのテーマ(複数の情報に共通しているメッセージなり見解なりそういうもの)に沿っていくつかの情報をわかりやすく並べて書いているので、ある種のキュレーションだなと思ったのです。

類似した見解や事象を集めて、整理して書く。しかも一方的な書き方をしても読み手に伝わらないから、なるべく伝わりやすいように、そして読みやすいように書く。

これ、続けていけば人に物事を説明するのがうまくなったり、将来別の分野で生きてきたりするかな、とちょっと期待しつつ。