夢は大きく歩みは手堅く

トリハダ代表 野島優一のブログ

久しぶりに学生と仕事したら社会人こそ学び続けなきゃヤバいと再認識した

ある仕事で数年ぶりに学生と一緒に仕事をしました。数日間の短期仕事ではなくわりとガッツリ。最初に勤務した会社ではそれが日常だったのですが今ではさっぱりなので、なんとも懐かしい経験でした。と同時に衝撃の経験となりました。

で気づいたんですが、今の学生ってこんなに実務能力の高い人がいるんですね。メールやチャットの返信スピードは申し分ない。エクセルは多少の関数まで使えるし、ファイルの作り方とか編集のしかたもほとんど問題ない。Googleドライブも普通に使いこなす。オペレーションの考え方もそれなりにできてるしあまり違和感ない。これが就活終わって就職直前の状態ならまだわかるんですが、もっと若い学年でもこういうことができる人がいることを知って、ちょっと愕然としました。自分がフルタイムで働くようになってから学んだこと(怒られてググって怒られてググってを繰り返してようやく身につけたこと)を、彼らは既にできている。。。

なんでだろう?としばらく不思議だったのですが、よく考えたらこれが当たり前なのかもしれない。下の世代ほど優秀で実務能力が高いのは自然なことなのかもしれない。そう思い始めました。

時代が先に進めば進むほど、つまり世代が下になればなるほど、世の中に出回る情報は増えていきます。仕事に使うツールも数が増え、機能が増えていきます。それらはだんだんと学校にも浸透していきます。価格も下がるし使いやすさも向上するので広く使われていくし、安価で簡単になれば学習コストも下がるのでさらに広がっていきます。つまり業務上のツールやソフトウェアは時代とともに、世代とともに、どんどんユーザーが増えていくわけです。

さらに、新しいツールを使いこなすための学習スピードは下の世代の方が速いですよね。言語の学習なんかもそうだと思いますが、若いほど脳が柔軟でなんでも吸収が速い。となれば、社会人よりも学生の方がより迅速に新しいツールに適応できるはずです。

ということで、世代が下であればあるほど、より多くの情報やツールに、より使いやすい形で、しかもより吸収の速い頭で触れていくわけです。つまり下の世代の方が上の世代よりも実務能力が高くなるのは普通っぽいのです。

(もちろん仕事に対する根本的な考え方とか姿勢みたいなものは実務経験を積まないと身につかないと思いますし、それがないと結局「仕事ができる」とはいえない可能性も十分にあります。ここではあくまで実務能力に絞って書いています。事務処理能力と言い換えてもいいかもしれません)

自分が学生とか社会人になりたての頃も、もしかしたら少しそういう部分があったのかもしれません。最初は仕事のツールではなかったけどfacebooktwitterは上司たちより使い込んでいたので慣れていて、それは当時の状況を考えたら当然の部分もあった。そうしたらそれがだんだん仕事でも使うツールになっていったりしていました。初期のfacebook広告、いまよりも数倍シンプルで機能も少ないヤツをせっせと作っていた頃が懐かしいです。

上の世代よりも下の世代の方が常に実務能力に長けている、という前提で自分のこれからを考えると、新しいものにどんどん触れまくって、あれこれ勉強しまくって吸収しまくっていく、ということがすごく重要だなと改めて思わされます。社会人こそ学び続けなければいけないというのは当たり前なんですが、それ以上にもっとギア入れてスピード上げてやっていかないと追いつかないかもしれません。自分より下の世代は自分よりデキるという感覚を常に持つ。そうでないとあっと言う間に抜かされていくんだなと。

この経験には良い刺激と気づきをもらえて感謝していますが、ぶっちゃけ怖い面もありますね。できることをどんどんやっていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1つのことをやりきることの大切さ

に改めて気づく日々です。

毎度ハッとさせられるメタップス佐藤航陽さんのツイート。

インターネットの発展をベースに個人でできることが圧倒的に増えた現代。いや今もすごい勢いでそれが増え続ける現代。何か勉強しようと思えばいくらでも情報が手に入るし(例えばプログラミングの知識や情報はウェブ上に無限にあるし、有名人のブログもツイッターもほとんど見放題)、やりたい事業アイデアがあればお金の工面の仕方も一昔前より圧倒的に増えているし(ベンチャー企業への投資家や投資件数は大きく増えたし、クラウドファンディングもあればnoteのような投げ銭システムもある)、転職もどんどんしやすい世の中になっている。個人の生き方というか仕事のしかたにおける選択肢は増える一方で、他にも例を挙げればたくさんあると思います。

そんな時代だと、つまみ食いで終わってしまうこともたくさんあります。僕の場合はプログラミングがそうで、興味あるのにちょびちょびかじっただけでここまで来てしまいました。結局大したものは身についていません。それでも全くやらない状態に比べたら、それがどういうものなのか、どういう仕組なのか、どうやって学ぶのか、はなんとなくわかっているのでマシかもしれませんが、仕事に使えるレベルにはなっていない。となると、そうやって途中で投げずに1つのことをやり続けた人の方が他人から求められるようになっていく気がします。

水江未来さんというアニメーション作家がいます。いわゆる「アニメ」と呼ばれるものとは少し異なった、現代アートみたいな形で紹介されるタイプの作品を作っていらっしゃいます。作風は結構サイケデリックというか、色とりどりに細かく描き込まれた幾何学模様や細胞みたいなものが画面いっぱいに動き回り、色も動きも目がチカチカするくらいの様相です。この人の作品が好きで少し前に上映会に行ってきたのですが、その時のトークが印象に残っています。

曰く、水江さん本人も、作品を観ていると「目がチカチカする」し、「必ずしも100%快楽ではない」のだそうです(笑)。しかもかなり絵柄が細かい上にコマ割りも細かいので、制作は「憂鬱なくらい大変」だと(笑笑)。じゃなんでわざわざそんなもの作るんだ、やめればいいじゃないかと言いたくなるところですが、それでもやるのは「アニメーションに魅せられたから」であり、完成すると「うわ~ヤバいのできちゃった~」と「ゾワゾワする」からなのだと。

1つの作品にかける時間と労力が異常なくらい多くて大変だからこそ見える景色があるのだと思います。この人は10年以上アニメーションをやっているそうなので、その意味でもすごいレベルに達しているのだと思います。

もう1つ別の例を挙げます。少し前に渋谷のstatementsというアートスペースである本が発行されました。それは昔のある1人のアートファンの男性による、執拗なまでの展示記録をまとめたものです。

1963年、西山輝夫は親友と訪れた展覧会「第15回 読売アンデパンダン」に衝撃を受けて以来、フルクサスやネオ・ダダイズム・オルガナイザーズなど前衛芸術の展覧会に一人で足しげく通うようになりました。熱狂的な美術ファンになった西山は、美術業界の人とは一切関わりを持たずに、当時の中でも最も過激で気鋭な芸術活動を追いかけ、詳細なメモを取り、配布物を収集し、展覧会の全ての作品を撮影するという方法によって記録を残しました。その後、東京を離れ岡山県へ転勤することになった西山は、2年間撮り貯めた記録を独自の方法によってスクラップブックにまとめ、その稀有な記録を個人的に保管していました。西山の残した記録のいくつかは、偶然にも他に資料が残されていないという理由からも、現在では美術史にとっても重要なものとなったのです。

 別に自身が美術作家なわけでもなければ、美術業界の人でもない。それでも1つのことに取り憑かれたように取り組んでいくと後々すごい価値を生むものになったりすることもあるのですね。実際この本を見させてもらいましたが貴重な資料と熱のこもった手書きコメントで埋め尽くされていて圧倒されました。すごく面白かった。高いから買わなかったけど。

もちろんこれはたまたま高い評価につながった例でしかなくて、ほとんどのことはこんな結果にはならないのかもしれません。でもこういう事例があるのも事実。1つのことをやりきるというのは良い結果を生むための十分条件では決してないけれども、必要条件ではあると思うのです。

自分の状況を省みると、結果が出ないからと浮足立ってしまって、すぐに次のこと、新しいことをやりたくなってしまうことが多いです。それ自体が悪いことなわけではなくて、むしろそれはそれで大事なことなわけですが、むやみに目移りしてはいけないなと。1つ1つをある程度まではやりきって、それなりに結果を見てから次のステップを考えるようにしようと思います。

 

うーん、ちょっと論旨がブレた感。。。

 

 

 

文章書くのも書き方によっては1つのキュレーションだなと思った話

DeNAの運営していたエセ「キュレーション」メディアの問題のおかげで悲しいことにかなりのマイナスイメージが付いてしまったと思われるキュレーションという言葉があります。もともとはたしか美術および芸術の世界から出てきた言葉で、美術に関する専門知識を持った専門家が、美術史の流れや最近の芸術における動きを踏まえ、その時々において意義のある展示を企画する仕事のことを指しています。それをやる人をキュレーターと呼びます。

と書いてみたものの僕もまだまだキュレーションって何なのかを勉強している段階であまり詳しいことはわかりません。ただ、単に好きな作家や作品を選んで好きなように並べて展示するのではなく、いろいろな背景や流れを踏まえ、それぞれの作家や作品の位置づけを踏まえ、その展示の意図がもっとも伝わる、あるいは作品の価値が鑑賞者にもっともよく伝わる展示形式なり順番なりで展示を作っていくわけです。(それは膨大な見識を踏まえてこそできる仕事なので素人にできるものではなく、その意味でDeNAが運営していたエセ「キュレーション」メディアの記事の多くはキュレーションではないただのコピペ記事だったことを書き添えておきます。キュレーションという言葉の価値を守るために。)

で、実はそれって音楽の世界のDJも似たようなことをしているのです。彼らはただ単に好きな曲を好きなように流しているわけでは必ずしもない。もちろんそういう人もいると思いますが、それだけだとなかなか聴衆は盛り上がらないらしいのです。過去の様々な音楽に関する知識と経験を踏まえつつ、アホみたいな数の曲からその場やテーマにふさわしい曲を選び(テイ・トウワというミュージシャン/DJは「これだという1曲を見つけるために、100や200の楽曲を聞くのが僕の仕事」とインタビューで答えています)、もっとも聴衆が盛り上がる流れでプレイしていくわけですね。これは音楽のキュレーションだと僕は思っています。

そしてブログを時々書くようになってから思ったのですが、文章を書くのもある種のキュレーションだなと。

いや正確に言うと僕がそういうタイプの文章をブログで書いているというだけかもしれません。僕の場合はあちこちで読んだり見聞きしたりしたことが繋がったときに、それを忘れないためと自分の頭を整理するために、その繋がったいくつかの情報を整理して書き留めています。過去の記事を見てもらうとよくわかると思います。それって、1つのテーマ(複数の情報に共通しているメッセージなり見解なりそういうもの)に沿っていくつかの情報をわかりやすく並べて書いているので、ある種のキュレーションだなと思ったのです。

類似した見解や事象を集めて、整理して書く。しかも一方的な書き方をしても読み手に伝わらないから、なるべく伝わりやすいように、そして読みやすいように書く。

これ、続けていけば人に物事を説明するのがうまくなったり、将来別の分野で生きてきたりするかな、とちょっと期待しつつ。

 

 

 

 

新しくたくさんの人と出会っているか?

自分の日々の活動が良い状態にあるかどうかの判断基準のひとつとして、新しい人と知り合っているかどうかというのがあります。

ずっと同じ人とばかり活動するのも悪くないけど、新しい人と出会わないよりは出会った方が、自分の世界も活動の幅も広がっていいなと思っています。特にいまは会社員を辞めて、完全に新しい業界で新しいことを始めている状態なので、新しい人との出会いが多くて当たり前。出会いがなかったら活動がイケてないことになってしまいます。

僕は新しく出会った人とはどんどんfacebookでつながるタイプなので、facebookの友達の数が増えているか止まっているかでそれが常にわかってしまいます。よくも悪くも。

昔、日本企業向けに外国人採用の仕事をしていた時は、仕事の中で星の数ほどの外国人学生と関わっていて、直接会ったり遊んだり人もたくさんいたので、友達がどんどん増えていきました。学生時代も大きなサークルで活動していたし、海外のイベントにも言ったりしていたので、友達が増え続けるのが自然な状態でした。

転職してからはそういう仕事ではなくなったのでペースが落ちました。代わりに会社外のコミュニティにも顔を出すようになったので、それまでと違うタイプの人と、少しずつですが出会っていました。

独立に向けて動き出してからはアート周りの人と知り合う機会が増えました。今もどんどん出会っています。

アートにこだわるのか、ただ面白いことがやりたいだけか

最近は、東南アジアでアート系の活動をしている人と知り合う機会が増えています。とてもありがたいし面白いことです。たくさんの刺激とアイデアをもらっています。みんな起業家精神もたっぷりです。 

その中で何人かに共通していたのは、アーティストと呼ばれる人や関連の活動をしている人たちが、必ずしも自分をアーティストと思っていたり、アートをやっていると思っていたりするわけではないということです。

ある人たちは「ただ自分たちが面白いと思うことをやっているだけ。アーティストとして扱われるのはよくわからない」と言っていました。ある人は「アートより友だちを作る方が大事だよ。たくさん友達を作れば自然と活動や仕事が生まれる」と言っていました。ある人は「社会課題の解決の手段としてアートをやっている。直接的な活動ではなく間接的な働きかけだが、それが面白い。アーティストと呼ばれてもいいし呼ばれなくてもいい。むしろグレーな立ち位置がいい」と言っていました。

僕の好きな落合陽一は以前twitterで「これはアート的とかこれはアート的ではないとか言っている人は、いったい何をこじらせているの?」というような発言をしていました。

立て続けにこういう意見に触れて自分についてもよく考えるようになった結果、アートだからいいとか、アートじゃないからダメとか、そういう判断基準は僕は好きじゃないと思いました。いいものはいい、ただそれだけなんだろうな、と。

別にアートっぽくてもつまらないものはつまらないし、世の中を変えるものもそうでないものも両方ある。アートっぽいからいいわけではない。一方でアートっぽくなくたって面白いものは面白いしすごいものはすごい。

 

アートをやりたいのか?

面白いことをやりたいのか?

自分が取り組むものとしては、前者の感覚だと思ってきたし、アートにつながらない仕事はあまりやらないようにしてきました。けど、変にこだわるのもよくないなと思い直したり。

そもそも僕がアートをやりたいと思うのは、アートが面白いと思うからです。となると、なるべくなら両者が重なる領域で活動したいものです。

 

ついでに言うと、もともとはアートとは別領域のものでも、極めると「これはもはやアートだ」と言われたりしますね。あれもあれでいいなと思います。

勉強やリサーチはノーリスク

僕は比較的勉強やリサーチをたくさんやるタイプです。なぜならノーリスクで知見が得られるからです。

例えば何かモノを買うときは、ネットで似たような商品を探して料金を比較したり、メルカリやジモティーで中古品が安く出ていないか探したり。いまはレビューもいろいろなサイトで見られますよね。

何か買うときにほんの1時間でも20分でも、場合によっては1分でも検索することで、定価10,000円のものが中古で5,000円で買えたりするわけです。1時間かけたとしても5,000円得したら時給5,000円という計算になります。こんなにお得なことはないですよね。

昔ならリサイクルショップを時間と体力を使って回る必要がありましたが、いまなら大半のものはネットで探せるので簡単です。

それから勉強もそう。わかりやすい例が読書ですが、世の中には本をたくさん読む人とそうでない人がいます。一度読書の価値に気づけばたいていの人はそれなりに読むようになると思いますが、読まない人もいます。でも読書も、費やすのは時間だけ。お金もかかりますがこれもAmazonで古本買えば激安で、送料込み1冊250円くらいの本すら大量にあります。

読書することで時間を失う以外にデメリットがあるかというと特にないわけです。それなのに本によってはものすごく濃い情報や知見が詰まっていて、そのあとの自分の人生を良いものにしてくれたりするわけです。さらに読めば読むほど本を選ぶのもうまくなるので、無駄な読書が減って濃い読書が増えていきます。得の方が圧倒的に大きい。

でも世の中、いちいち何か調べたりたくさん本を読んだりする人は多くない。きっとみんな面倒くさいんでしょうね。そういうものなんだと思います。ということは、それをちょっとでもやる人にはすごく有利な世の中なわけです。

僕は勉強もリサーチも時間とってやっていこうと思います。ノーリスクハイリターン。いや、さすがにミドルリターンくらいかな。

 

 

 

ARCというチームを作りました。先端技術を芸術分野に開放し、そこで生まれた作品や表現を社会に届ける活動をします

【技術 x 芸術 → 社会 みたいな活動を始めました】(書いてみて、まだ全然まとまってないなと気づきました…僕ってもっと文章うまかった気がするんだけどなぁ気のせいかなぁ。けどとりあえず書きます。随時アップデートしていきます)
ARC(アーク)というチームを友人の Kenji Esaki と Kaho Ikeda と作りまして、先端技術をアーティストに使ってもらう → 新しい表現や作品が生まれる → それを社会に届ける、というようなことをしています。
先端技術というのはまずVRからやっています。アーティストでVRに興味を持っている人もちらほら出てきていますが、
「どこに行けば使えるのかわからない」
「自分では高くて買えないし、周りに持っている人もいない」
そもそも買えるの?」
みたいな人がほとんど。でも、人によってはVRですごく面白いものが作れたりするかもしれないですよね。つまり使う機会がないのはもったいないですよね。じゃぁ持ってる側が使う場を提供したらいいですよね。
"Artist x Technology"と題して、いまのところメンバーの知り合いの若手作家さんに試しに使ってもらう場を作っています。うまくフィットしたら軽めの展示機会も作ったり。
"社会に届ける"ための具体的な活動としては、小規模ながら展示をやったり、教育施設やイベントで体験ブースを出したりしています。直近だと7/22に武蔵境の武蔵野プレイスというところでイベントに出ますお楽しみに。自分の目的である「アートをもっと身近にする」という点ともかなり重なります。とはいえこの部分はまだまだこれから。
ただ単にテクノロジーを使ったアートをやる!でもなく、アートを楽しむ場を作る!だけでもなく、テクノロジーに触れる場を作る!だけでもなく。全部合わさっています。
あと、これは有志で放課後にやっているプロジェクトです。お金にもなっていないです。将来的にどういう形にするかは常に考えつつ、いいからとりあえずやろうぜマインドでやっています。とにかく最初は行動してみること。
当たり前ですがメンバー3人とも本業があるので、人手がどうやっても足りません。特にエンジニア!直近だと、できればVRわかってるエンジニア!にお手伝いしてもらいたくて喉から手が出まくっていてオエオエ言っています。興味ある方はご連絡ください。あくまで仕事外で余力のある方。もちろんエンジニアでなくてもリサーチを手伝ってくれる人とか記事書いてくれる人とかもとてもありがたいです。
参加者や関係者のネットワークを築いていくことも大きな目標です。時間はかかると思いますが、技術や芸術に関心があり、かつそれを社会に開くことに意義を感じる人の集まりですね。
この活動でどれだけの価値を生めるかはまだわかりませんが、可能性はすごく見えています。3人とも本業じゃないどころかお金にもならないのに異常なほどモチベーションが高く、そして異常なほど仲が良く、会うたびにこんなにワクワクするメンバーは貴重だなぁと感じています。僕は人には恵まれているらしいです。感謝感謝です。
ということで、昨年立ち上げたトリハダという事業/会社はまだまだ全然芽が出ておりませんが、自分の関心に近くて意義を感じることはどんどんやろうということで、こんな活動も始めました。よろしくお願いします。
あ、ウェブサイトは準備中です。