アートにこだわるのか、ただ面白いことがやりたいだけか
最近は、東南アジアでアート系の活動をしている人と知り合う機会が増えています。とてもありがたいし面白いことです。たくさんの刺激とアイデアをもらっています。みんな起業家精神もたっぷりです。
その中で何人かに共通していたのは、アーティストと呼ばれる人や関連の活動をしている人たちが、必ずしも自分をアーティストと思っていたり、アートをやっていると思っていたりするわけではないということです。
ある人たちは「ただ自分たちが面白いと思うことをやっているだけ。アーティストとして扱われるのはよくわからない」と言っていました。ある人は「アートより友だちを作る方が大事だよ。たくさん友達を作れば自然と活動や仕事が生まれる」と言っていました。ある人は「社会課題の解決の手段としてアートをやっている。直接的な活動ではなく間接的な働きかけだが、それが面白い。アーティストと呼ばれてもいいし呼ばれなくてもいい。むしろグレーな立ち位置がいい」と言っていました。
僕の好きな落合陽一は以前twitterで「これはアート的とかこれはアート的ではないとか言っている人は、いったい何をこじらせているの?」というような発言をしていました。
立て続けにこういう意見に触れて自分についてもよく考えるようになった結果、アートだからいいとか、アートじゃないからダメとか、そういう判断基準は僕は好きじゃないと思いました。いいものはいい、ただそれだけなんだろうな、と。
別にアートっぽくてもつまらないものはつまらないし、世の中を変えるものもそうでないものも両方ある。アートっぽいからいいわけではない。一方でアートっぽくなくたって面白いものは面白いしすごいものはすごい。
アートをやりたいのか?
面白いことをやりたいのか?
自分が取り組むものとしては、前者の感覚だと思ってきたし、アートにつながらない仕事はあまりやらないようにしてきました。けど、変にこだわるのもよくないなと思い直したり。
そもそも僕がアートをやりたいと思うのは、アートが面白いと思うからです。となると、なるべくなら両者が重なる領域で活動したいものです。
ついでに言うと、もともとはアートとは別領域のものでも、極めると「これはもはやアートだ」と言われたりしますね。あれもあれでいいなと思います。