【お知らせ】翻訳や通訳の仕事も少しお受けしていきます
【お知らせ】翻訳や通訳の仕事も少しお受けすることにしました。英語はネイティブではないですが、ネイティブでない人が聞いたら or 読んだらネイティブかもって思うくらいには得意です。
・日→英、英→日ともに可
・文書の翻訳、イベントでの通訳など形態は何でも
・お金は応相談で。ケースによっては無料でお受けしてます
単発でいくつかお手伝いさせて頂いた結果、これを機に新たな人と関わりができるのがすごく良いなと思ったので。本業にする気はないので軽いものに限りますが、気軽にご相談ください。
いいねはなし、シェアとコメントはできるけど目立たないSNS
いいねはなし、シェアとコメントはできるけど目立たないSNS。SNSというより共有されたDropboxやGoogleドライブみたいな感じ。けどクラウドストレージとして使うならそっちの方が便利だろうから、何がイイのかよくわかりませんが、とりあえず使ってみようと思います。
この3月まで初台のNTT-ICCで展示されていた作品で、Kyle McDonaldさんの「Exhausting a Crowd (群衆を書き尽くす) 」というものがありました。ロンドンの街頭監視カメラの映像12時間分がプロジェクターで映されており、そこに誰でもコメントを書き込むことができるという参加型の映像作品です。作品を訪れた人が、その瞬間瞬間に何が起きているか、どんな人が写っているかを映像の該当部分に書き込んでいって、コメントがたまると映像の説明ができあがっていきます。誰でもコメントを書くことができて、かつそれをみんなが見ることができる、という意味ではSNSに近いなと思ったのですが、ここにもいいねやシェアの機能がなく、すべてのコメントがフラットに扱われているというのがとても面白かった。というのも、真面目なコメントは半分くらいであと半分はネタコメントなので、大喜利の様相を呈しているのです。このURLでネットからも見られる & 参加できます。
http://www.exhaustingacrowd.com/london
このSNSを見てそれを思い出しました。
サービス運営者として考えると、ユーザーやコンテンツが増えたときにどうするのかが重要なんですかね。どんなサービスにもつきまとう問題。でもアーティストが作ってるし、作品として扱うのであれば、そういうのは関係ないのかな。
新しい活動① 未来美術部 by ARC(アーク)
最近いくつか新しい活動を始めたので今日から連続でご紹介します。「野島はいま一体なんの仕事をしているのか」と大変頻繁に聞かれるようになってしまったので、少しでも回答になればと思うのと、営利・非営利問わず「一緒にこういうことしませんか」というコラボ的なお話がもしかしたら1件くらい来るかもなという淡い期待を込めて投稿します。
【新しい活動① 未来美術部 by ARC(アーク)】
ARCというアートプロデュースユニットを Kenji Esaki と Kaho Ikeda とやっており、その一環で「未来美術部」という、アートとテクノロジーで遊ぶ部活みたいなものを始めました。4月から北区の芸術文化施設ココキタにてレジデンススペースを借りており、アートとテクノロジーで遊ぶための道具をあれこれ設置して、毎週土曜を中心に開放する予定です。
ココキタはもともと中学校だった建物で、劇団さんや舞台美術制作者など色々な団体がレジデンスアーティストとして入居しているほか、雅楽や鍛金などの教室も多数あるところです。僕ら自身は必ずしもアーティストというわけではないのですが、色々な使い方ができる & 地域住民の皆さんにも楽しんでもらえるということで入居させて頂きました。基本的には子どもも大人も自由に遊びに来て、自宅や学校にない面白い機械で遊ぶ場であり、それを使ってアート作品を作れる場です。また我々メンバーが自分のやりたいことを試す場でもあります。技術書やアートブックのミニライブラリーも作ります。毎週土曜に開放する予定ですが、それ以外の時間はARCの作品制作スタジオともなります。
広さは教室の約半分で、床は畳。これから壁や天井を装飾するほか、プロジェクターやなんかもあれこれ置いて楽しい部室というか基地みたいな感じにしようと話しています。5月にはオープンするつもりです。具体的に何ができるのかはこれから随時アップしていきます。
未来美術部は「部」という形をとり、メンバーには少し帰属意識みたいなものを感じてもらえるように考えています。そのうち近隣の学校で「未来美術部はなんかわけわかんないけどとにかく楽しい」「未来美術部に入ってるってカッコいい」とか言われるようになったら嬉しいですね。泣けますね。当たり前ですが学校の部活との兼部もできるし、どこの住民だって入部できます。
我々自身がここに置きたいものはどんどん置いていきますし、レジデンススペースとは別にギャラリースペースもあるのでワークショップや作品展示・体験会もやっていきます。一方で企業や個人クリエイターからの「今度こんなもの作ったんだけど、子どもに使ってみてもらいたい」みたいな要望にも応えていけたらと思ってます。端末でも作品でもオファーお待ちしてますw。
個人的には、ここでの活動から新しい美術教育・技術教育のヒントが得られたらいいなとも思ったりしています。
まだ準備中ですがとても面白い取り組みになりそうです。ココキタは池袋からバスで20分、王子からバスで8分です。皆さん遊びに来てくださいね!
http://www.kitabunka.or.jp/cocokita/index.php?m=acc
生まれて初めて対面した異国のサイボーグは、テクノロジストであるとともにテクノロジーそのものでもあり、そしてアーティストであり哲学者でした。
サイボーグって実在するんですね。
12月13日と14日、頭にアンテナを植え付けたサイボーグ(ウソではなく事実を書いてます)のNeil Harbissonさんが来日するイベントがありました。イベントから2週間も経ってしまいましたが個人的レポートです。heapsmag.com
追記: HEAPSさんからもレポート記事が出たので貼っておきます!動画もコントリビューター紹介も載ってて内容モリモリです。僕も載ってます。いぇーい。ありがとうございます。
(追記終わり)
僕はコントリビューターと呼ばれるボランティアスタッフをして参りました。出演者の弁当やタクシーの手配から各種会場設営、そして最後はトークイベントの通訳まで! 友達同士の会話ならいくらでも通訳やったことあるけど、お客さん多いと緊張しますねぇ。。。でも何とかなりました。
Neilは後頭部にガチでアンテナを植え付けており、正真正銘のサイボーグです。カギカッコなしのサイボーグです。もともと色盲で、色を音で感知できるようにアンテナを付けたそうです。アンテナの先で色を読み取り、それを音に変換し、その音を骨伝導で聞くという仕組み。彼はTEDの本家イベント(TEDの後ろに「x」が付いてないやつ)やらBBCのインタビューやらで数年前から世界的に知られるようになっているので、詳細は以下にて。TEDは日本語字幕も出せます。
近い将来、人間としてどう生きるかではなく、生き物としての生き方を選択する時代が来る
個人的な気づきをまとめます。
Neilはサイボーグとして様々な活動をしていますが、新しい概念や考え方もいくつか提示しています。そのうち一番印象に残ったのが上記見出しの内容でした。
彼のアンテナは、動物の触覚、つまり主に昆虫の頭部から出ているアレに着想を得ているのだそうです。人間になくて他の生き物が持っている身体機能を人間に移植したわけです。
これから技術の発展が進むと、次々にそうした機能移植というか身体移植みたいなことが可能になっていくと考えられます。実際にNeilの周りには、地震の波動を足裏で感じられるなど、色覚アンテナ以外にも何人かのサイボーグさんが既に存在しています。最近技術系のニュースで時々出てくるBrain-machine Interfaceという言葉がありますが、これはBrain = 脳とMachine = 機械を接続する技術や機器のことを指します。脳もつまるところ電気信号で動いているので、脳と機械を直接接続し通信させることで、感覚を刺激したり記憶を管理したり、みたいなことができつつあるそうです。これも詳しくはネットに色々出てるのでレッツ検索。
こうした技術がさらに発展すると、地球上の様々な生き物の能力や部位を人間に植え付けることができるようになります。その時、我々人間は「人間としてどう生きるか」というよりも、「生き物としてどう生きるか」を選択でき、それについて考える時代が来るわけです。こうやって様々な生き物を組み合わせたり組み換えたりして生きることを「transpecies」と彼は呼んでいるそうです。たぶんこれも造語。極端な想像をすれば、胴体と頭は人間、触覚は昆虫、嗅覚は犬、視覚は鳥、手足はゴリラ。そこに植物の光合成機能を加えて…といった具合に、世の中に存在する機能や身体部位を自分の好きなように取り入れて生きることができるかもしれません。Googleの人工知能にオリジナル画像を作らせたらずいぶんと気持ち悪いもの(あえてプレビューなし)ができていましたが、あんな風に変な世界も実現可能になるかもですね。
Neilがイベントで話していたことを付け加えると、我々人間はたまたま人間として生まれてきたが、世界にはたくさんの種類の生物がいる。そもそも古代はバクテリアみたいな微生物しかいなかったがこうして進化してきていま人間がいる。そうやって視野を広げて考えれば、人間という枠ではなく生き物という枠でどう生きるかを考えるのはおかしなことではない、というようなことも言っていました。
目からウロコでした。
その他、彼が話していた内容のメモ
10年以上サイボーグとして生きてきてるだけあっていちいち深いし面白かったです。
- 「色盲は人間にとっては欠陥とされるが、他の動物にとっては必ずしもそうではない。つまり、生き物全体として考えたとき、能力の有無は優劣ではない」。これは上に書いた話にもつながりますが、言われてみれば本当にそうだなと。なんか反省。
- 「アンテナはインターネットにもつながっている。NASAとのプロジェクトもあり、国際宇宙ステーションともつながっている。こちらから情報を宇宙空間に送ることもできるので、物理的に体が宇宙空間に行くastronaut = 宇宙飛行士に対して、sensetronaut と呼んでいる」。へえぇ。いいないいな。sensetronaut は造語っぽいのでカチッと訳すのは無理ですすいません。
- 「このアンテナはAIではなくAS = Artificial Sense = 人工感覚である」。人間が持っていない感覚を人工的に与えているということ。聞きなれない言葉なのでこれも彼が提示している新しい概念かもしれません。
- アンテナは何度かアップデートというか追加開発がされていて、今では赤外線や紫外線も感知できるのだそうです。つまり一般的な人間の能力を既に越えています。色盲だけど健常者が見えない色も見える。言葉にすると矛盾してしまいますがそういうことのようです。
- 「アンテナによって、色盲の人でも色を識別することができる。これはVRでもARでもなくRR = Revealed Realityである」。このRRもおそらくオリジナルの概念で、めっちゃ訳しにくくて通訳のときも悩みました。言うなれば「見えないものを見えるようにした世界」、あるいは「感じられないものを感じられるようにした世界」のことです。加えて彼が指摘していたのは、この世にないものを感じられる世界では決してなく、既にこの世に存在するけど知覚できなかったものを知覚可能にした世界、ということです。確かにNeilにとっての色もそうで、新しく生み出されたものではない。なるほど。あーー世界観広がっていく。
- 「今後の活動のキーワードの1つはアート。他の人が感じられないことを感じて表現できるから」。なるほどなるほど。彼の活動も生き方もすでにアート感ある。
- 次のプロジェクトでは時間の感じ方を変えようとしてるそうです。頭に時計を埋め込んで、24時間で針が頭を一周するみたいなこと言ってました。何それあはは。もうついていけないっす。
ということでなんかとんでもない人に会って交流するというめちゃ貴重な経験をしたのでした。いま振り返ってみて、彼とパネリスト&100人以上の聴衆の間に入って通訳をしたというのは結構な大役だったなとw。でもおかげで彼のプレゼンとパフォーマンスを間近で観ることができ、誰よりも強烈な印象を受けることができました。
さらに13日はNeilと2組のアーティストとのコラボパフォーマンスもあり。ビートボックスアーティストのKAIRIさん、それからトラックメイカーグループのCLATさん。どっちもカッコよかったなぁ。
こちらがKAIRIさんのPV。ヒューマンビートボックスは結構好きだったけどこれはエグすぎてビックリ。とても生身で出してる音とは思えなくて、もうなんかサイボーグよりサイボーグ感あります。
さらに14日は、池上高志さん、和田永さん、青木竜太さんとのパネルディスカッション。池上さんはたまたまICCでの展示作品を見ていたのでお会いできて嬉しかった。ロボット研究で有名な石黒浩さんとの共作で、文化庁メディア芸術祭の受賞作品でした。和田永さんは古い家電を楽器に改造するプロジェクト「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」で有名なアーティストで、先日そのイベントも観に行ったばかりなのでテンション上がりまくり、でも上がりすぎてチキって声かけれずという失態ぶりでした。別途連絡してみます。
他のコントリビューターさんも面白い方ばかりで、これから一緒に活動したり企画を作ったりできそうな方も。面白い場には面白い人が集まるんですね。これは忘れないようにしようと思います。
Neil、HEAPSの皆さん、コントリビューターの皆さん、そして関係者の皆さん、ありがとうございました! これからもよろしくお願いします。
日本人が平和ボケしてるのは事実だろうけどそれは社会が安定してるからであって、ハングリー精神を取り戻すには社会を不安定にするしかないけどそれって結局幸せなのか?と思うんです
言いたいことはタイトルでほぼ言い切った感がありますが以下肉付けです。酔っているのでやや雑です。
毎度ながらデータをとったわけではありませんが、現代の日本人が平和ボケしているのは事実だと思うのです。例えば50年前や70年前の日本と比べたら、あるいは近年の中国やインドと比べたら、どう考えても現代の日本人の方がのんびりしていてハングリー精神がないだろうとという話です。
そしてそれは現代の日本が極めて平和で安定しているからだと思うのです。治安は世界最強で夜1人で歩いていても襲われる可能性は決して高くない(もちろんゼロではない)。北朝鮮とのミサイルが云々という話もありますが少なくとも現在は戦争も紛争もない。暴力団も排除が進んで、日常生活で身の危険を感じることは少ないと思います。
そして物価が安い、しかもコンビニやユニクロのおかげで安くてもそれなりのクオリティのものが手に入る。それも日本中のかなりの範囲で手に入る。むしろ最近のセブンイレブンは惣菜も弁当もかなり美味い。家賃も場所を選べばかなり安く抑えられる。贅沢をしなければ、日々の暮らしはアルバイトであっても十分成り立たせることができると思います。貯金はあまりできないかもしれないけど。
働き口も最近は増えてきて、求人倍率もそれなりの数値になっていると聞くので、あくまで理論上ですが、選り好みしなければ仕事はあるということになります。
いろいろと細かいツッコミはできますが、全体としてはとても平和で安定しているはずです。
そりゃ平和ボケするだろうよ。
で、これは仕方ないことであり、同時にいいことでもあるはずなんです。なぜならこれまで社会を構築してきた世代の人たちは、こういう平和で安定した社会を作るべく頑張ってきたはずだからです。その意味において言えば、現代の日本は理想が実現された社会だとすら思います。そんな社会の中で生まれてずっと生活すればそれに慣れてしまうのは当然で、平和ボケもするし、ハングリー精神なんてなくなって当然です。
付け加えておきたいのは現代の大企業経営者についてです。サラリーマン社長が多いとよく聞きますし実際そういう事例をよく目にします。ここ数年で不祥事があって記者会見で謝罪している社長の中にも多くて、覇気がなかったり、無責任な発言があったりします。その人達の経歴を見ると、新卒からずっとその会社だったりする。しかもその会社の業績面での最盛期を経験していたりする。
さらに大企業では一般的に(あくまで一般論ですが)無難な人が昇進していったりするわけです。減点主義の中、トラブルを起こさず、杭として出すぎず、みたいな。
そりゃ平和ボケするだろうよ。ねぇ。
新しく事業を起こしたり、会社として大きな賭けに出るようなリスクテイクをした経験があったり、そうでなくとも会社の窮地を経験したり、ということがなければ、大胆な行動ができるタイプの人間は育たないと思うわけです。
で、これも前述の社会全体の話と同じで、ある意味では理想的な状況なんです。創業者やそれに次ぐ経営者・役員・社員たちが波乱の中を切り抜けて会社を成長させ、業績の安定を図った。結果、大きな賭けなどせずとも安定して事業が回っていく環境や仕組みを作ったわけです。これは経営努力として素晴らしいし評価されるべきものです。でも一方で、その仕組みができあがったところに入ってきてその中でしか働いたことがない人達は、当然ながら危機管理能力もないしリスクテイカーでもないわけです。彼らが悪いわけでもない。
そんな現代において日本人は平和ボケしている。それは事実であって、批判ともとらえられるけど仕方ない部分が大きい。むしろそういう平和と安定のためにいままで努力してきたんじゃないのかと。それが理想だったんじゃないのかと。
で、今後の世界の中でより幸せな社会を築くためには、日本人にハングリー精神がもっとあった方がよいという意見がある。僕もその目的に対して考えればもちろんそう思います。でもそのためには社会が不安定になる必要があるわけです。それって結局幸せなんだろうか、とちょっと疑問が残るのです。
社会の安定は理想的なことであるはずなのに、実は悪なのか?みたいな。どっちが幸せなんでしょうね。
久しぶりに学生と仕事したら社会人こそ学び続けなきゃヤバいと再認識した
ある仕事で数年ぶりに学生と一緒に仕事をしました。数日間の短期仕事ではなくわりとガッツリ。最初に勤務した会社ではそれが日常だったのですが今ではさっぱりなので、なんとも懐かしい経験でした。と同時に衝撃の経験となりました。
で気づいたんですが、今の学生ってこんなに実務能力の高い人がいるんですね。メールやチャットの返信スピードは申し分ない。エクセルは多少の関数まで使えるし、ファイルの作り方とか編集のしかたもほとんど問題ない。Googleドライブも普通に使いこなす。オペレーションの考え方もそれなりにできてるしあまり違和感ない。これが就活終わって就職直前の状態ならまだわかるんですが、もっと若い学年でもこういうことができる人がいることを知って、ちょっと愕然としました。自分がフルタイムで働くようになってから学んだこと(怒られてググって怒られてググってを繰り返してようやく身につけたこと)を、彼らは既にできている。。。
なんでだろう?としばらく不思議だったのですが、よく考えたらこれが当たり前なのかもしれない。下の世代ほど優秀で実務能力が高いのは自然なことなのかもしれない。そう思い始めました。
時代が先に進めば進むほど、つまり世代が下になればなるほど、世の中に出回る情報は増えていきます。仕事に使うツールも数が増え、機能が増えていきます。それらはだんだんと学校にも浸透していきます。価格も下がるし使いやすさも向上するので広く使われていくし、安価で簡単になれば学習コストも下がるのでさらに広がっていきます。つまり業務上のツールやソフトウェアは時代とともに、世代とともに、どんどんユーザーが増えていくわけです。
さらに、新しいツールを使いこなすための学習スピードは下の世代の方が速いですよね。言語の学習なんかもそうだと思いますが、若いほど脳が柔軟でなんでも吸収が速い。となれば、社会人よりも学生の方がより迅速に新しいツールに適応できるはずです。
ということで、世代が下であればあるほど、より多くの情報やツールに、より使いやすい形で、しかもより吸収の速い頭で触れていくわけです。つまり下の世代の方が上の世代よりも実務能力が高くなるのは普通っぽいのです。
(もちろん仕事に対する根本的な考え方とか姿勢みたいなものは実務経験を積まないと身につかないと思いますし、それがないと結局「仕事ができる」とはいえない可能性も十分にあります。ここではあくまで実務能力に絞って書いています。事務処理能力と言い換えてもいいかもしれません)
自分が学生とか社会人になりたての頃も、もしかしたら少しそういう部分があったのかもしれません。最初は仕事のツールではなかったけどfacebookやtwitterは上司たちより使い込んでいたので慣れていて、それは当時の状況を考えたら当然の部分もあった。そうしたらそれがだんだん仕事でも使うツールになっていったりしていました。初期のfacebook広告、いまよりも数倍シンプルで機能も少ないヤツをせっせと作っていた頃が懐かしいです。
上の世代よりも下の世代の方が常に実務能力に長けている、という前提で自分のこれからを考えると、新しいものにどんどん触れまくって、あれこれ勉強しまくって吸収しまくっていく、ということがすごく重要だなと改めて思わされます。社会人こそ学び続けなければいけないというのは当たり前なんですが、それ以上にもっとギア入れてスピード上げてやっていかないと追いつかないかもしれません。自分より下の世代は自分よりデキるという感覚を常に持つ。そうでないとあっと言う間に抜かされていくんだなと。
この経験には良い刺激と気づきをもらえて感謝していますが、ぶっちゃけ怖い面もありますね。できることをどんどんやっていこう。
1つのことをやりきることの大切さ
に改めて気づく日々です。
毎度ハッとさせられるメタップス佐藤航陽さんのツイート。
膨大な選択肢があり嫌ならすぐに投げ出せる時代だからこそ、特定の領域に特化して強みを磨き上げ、執着を持ってやり抜く人は大きな信用を得やすくなった。反対、半端な知識やスキルや経験の価値が急速に失われてきている。
— Katsuaki Sato (佐藤航陽) (@ka2aki86) 2017年7月22日
インターネットの発展をベースに個人でできることが圧倒的に増えた現代。いや今もすごい勢いでそれが増え続ける現代。何か勉強しようと思えばいくらでも情報が手に入るし(例えばプログラミングの知識や情報はウェブ上に無限にあるし、有名人のブログもツイッターもほとんど見放題)、やりたい事業アイデアがあればお金の工面の仕方も一昔前より圧倒的に増えているし(ベンチャー企業への投資家や投資件数は大きく増えたし、クラウドファンディングもあればnoteのような投げ銭システムもある)、転職もどんどんしやすい世の中になっている。個人の生き方というか仕事のしかたにおける選択肢は増える一方で、他にも例を挙げればたくさんあると思います。
そんな時代だと、つまみ食いで終わってしまうこともたくさんあります。僕の場合はプログラミングがそうで、興味あるのにちょびちょびかじっただけでここまで来てしまいました。結局大したものは身についていません。それでも全くやらない状態に比べたら、それがどういうものなのか、どういう仕組なのか、どうやって学ぶのか、はなんとなくわかっているのでマシかもしれませんが、仕事に使えるレベルにはなっていない。となると、そうやって途中で投げずに1つのことをやり続けた人の方が他人から求められるようになっていく気がします。
水江未来さんというアニメーション作家がいます。いわゆる「アニメ」と呼ばれるものとは少し異なった、現代アートみたいな形で紹介されるタイプの作品を作っていらっしゃいます。作風は結構サイケデリックというか、色とりどりに細かく描き込まれた幾何学模様や細胞みたいなものが画面いっぱいに動き回り、色も動きも目がチカチカするくらいの様相です。この人の作品が好きで少し前に上映会に行ってきたのですが、その時のトークが印象に残っています。
曰く、水江さん本人も、作品を観ていると「目がチカチカする」し、「必ずしも100%快楽ではない」のだそうです(笑)。しかもかなり絵柄が細かい上にコマ割りも細かいので、制作は「憂鬱なくらい大変」だと(笑笑)。じゃなんでわざわざそんなもの作るんだ、やめればいいじゃないかと言いたくなるところですが、それでもやるのは「アニメーションに魅せられたから」であり、完成すると「うわ~ヤバいのできちゃった~」と「ゾワゾワする」からなのだと。
1つの作品にかける時間と労力が異常なくらい多くて大変だからこそ見える景色があるのだと思います。この人は10年以上アニメーションをやっているそうなので、その意味でもすごいレベルに達しているのだと思います。
もう1つ別の例を挙げます。少し前に渋谷のstatementsというアートスペースである本が発行されました。それは昔のある1人のアートファンの男性による、執拗なまでの展示記録をまとめたものです。
1963年、西山輝夫は親友と訪れた展覧会「第15回 読売アンデパンダン」に衝撃を受けて以来、フルクサスやネオ・ダダイズム・オルガナイザーズなど前衛芸術の展覧会に一人で足しげく通うようになりました。熱狂的な美術ファンになった西山は、美術業界の人とは一切関わりを持たずに、当時の中でも最も過激で気鋭な芸術活動を追いかけ、詳細なメモを取り、配布物を収集し、展覧会の全ての作品を撮影するという方法によって記録を残しました。その後、東京を離れ岡山県へ転勤することになった西山は、2年間撮り貯めた記録を独自の方法によってスクラップブックにまとめ、その稀有な記録を個人的に保管していました。西山の残した記録のいくつかは、偶然にも他に資料が残されていないという理由からも、現在では美術史にとっても重要なものとなったのです。
別に自身が美術作家なわけでもなければ、美術業界の人でもない。それでも1つのことに取り憑かれたように取り組んでいくと後々すごい価値を生むものになったりすることもあるのですね。実際この本を見させてもらいましたが貴重な資料と熱のこもった手書きコメントで埋め尽くされていて圧倒されました。すごく面白かった。高いから買わなかったけど。
もちろんこれはたまたま高い評価につながった例でしかなくて、ほとんどのことはこんな結果にはならないのかもしれません。でもこういう事例があるのも事実。1つのことをやりきるというのは良い結果を生むための十分条件では決してないけれども、必要条件ではあると思うのです。
自分の状況を省みると、結果が出ないからと浮足立ってしまって、すぐに次のこと、新しいことをやりたくなってしまうことが多いです。それ自体が悪いことなわけではなくて、むしろそれはそれで大事なことなわけですが、むやみに目移りしてはいけないなと。1つ1つをある程度まではやりきって、それなりに結果を見てから次のステップを考えるようにしようと思います。
うーん、ちょっと論旨がブレた感。。。