夢は大きく歩みは手堅く

トリハダ代表 野島優一のブログ

2017年あけましておめでとうございます

(2017年1月4日の投稿)

あけましておめでとうございます。せっかく昨日から仕事モードでやってたのに今日になって風邪引いてしまい不完全燃焼なスタートを切っています。ああ悔しい。

昨年はとりあえず独立したわけですが、一番よく聞かれた質問は「順調?」でした。回答は「順調ではないけどどうにか前進はしてます」です。最初から順調に行くような仕事ならとっくに他の人が大成功してると思うので、そんなに簡単に行かないことは百も承知です。

何の分野でも地道な積み重ねが一番効果ある気がするし、行動し続けていれば見てくれてる人はいるし応援してくれる人も見つかります(これは昨年の大きな発見でした!応援してくれる皆さま本当に本当にありがとうございます)。後で思わぬ形で仕事になることもあると思います。できることを着々とやっていきます。

アートの説明ってどうしてこんなにややこしいのか

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美術手帖が出版した『現代アート事典』という本を、勉強のために読んでる。構成やデザインがわかりやすいのでいいなと思ったのですが挫折しそうです。もうね、表現がややこしすぎて何言ってんのかさっぱりなんですよ。以下例。

 

モダニズム絵画の、調和による美学を脱構築した」…はぁ?

「絵画性と体験的要素と文脈喚起力を融合させた設置」えっとすいません何をおっしゃってるのか

「自立した美や造形性を持ちながらも、見なれた形が変容して不定形な模様や光学現象を表す体験を通して、凡庸な事物や風景に幾何学形やフラクタルな形を発見したときの知覚の運動や連想によって喚起される思考の働きを誘い出している」わぁぁぁもはや何語なのかわかりません

こんなことやってるからアートのファンが増えないんですよ。いや失礼、これはこれで文献としては価値があるのかもしれないし、アートを専門に研究している人には適切な表現なのかもしれません。だからこそこういう本が出てるのだろうし、美術館の作品説明もこういう文体ですよね。けどこれ読んでも新たなアートファンは生まれにくいと思うんですよ。

こういうのじゃなくて、もっと身近で、これまでアートに興味なかった人が興味持てる場というか機会を増やす方を僕は頑張ろうと思うわけです。最近そういう路線のイベントが増えているのはいいことだと思います。チームラボの作品もわかりやすくてすごくいいと思います。

こんな小難しい文章読まなくてもアートが面白い、楽しい、って感じる方法はあるので敬遠しないで欲しいです。

 

例の問題の最中にDeNA創業者南場さんの『不格好経営』を読んだ感想

読もう読もうと思いつつ後回しになっていた(たくさんの本のうちの一冊である)本書、このタイミングで読みました。面白すぎて一気に読んでしまった。そして何度吹き、何度ウルッときたことか。南場さん文章上手すぎませんか。箇条書きですが以下感想。一部引用しつつ。

・どんなに輝かしい業績を持つ会社だって実態はカオス、というのはよくある話だと思いますが、DeNAもそうなんですね。ありえないような失敗談がたくさん、それも赤裸々に書いてありました。納品直前のシステムがコード0行とわかったとか、他社と提携してリリースしたシステムに障害があってすぐ引っ込めたとか、海外の買収先の会社に全然予定通りにモノを作ってもらえなかったとか。よくこんなの乗り越えてここまで来てるよなすごいなという印象です。

・所詮中身のない携帯ゲーム会社だろ、美しくない、という意見をよく聞くし、僕もそう思っている部分がありました。特にソーシャルゲームコンプガチャ問題で世間を騒がせたときのイメージがあまりにも強い。ところが、これ読んである程度は印象が変わりました。確かにゲーム事業が成長の中核をなしてきたのだと思いますが、そもそも最初はネットオークション、特にモバイルオークションが大当たりして上場しています。その後世間に一気に知られるようになったのがモバゲーだったんですね。上場後の話です。あとカスタマーサポートには相当力を入れているようです。モバゲーが出会い系扱いされて問題化していたようですが、その後の取組の成果はめざましい。ガチャの件の対応は、既に社長を後退していたということもあってか、あまり紙面が割かれておらず残念でした。

・創業メンバーだった川田氏についてのこの文章がとても響きました。

誰よりも働く、人を責めない、人格を認める、スター社員に嬉々とする、トラブルにも嬉々とする。そして、俺は聞いていない、バイパスするな、などという言葉も概念もいっさいない。とにかく一歩でも、ちょっとでも前に進むことしか考えない。 

なんと清々しい。自分がこれまで一緒に働いた人の中には、これにとても近い人もいればかけ離れた人もいました。どちらと働いている時に仕事がうまくいったかは言うまでもありません。自分もこうあろうと思います。

・自社のトラブルで迷惑をかけた某大手に謝罪に行ったら、もちろん怒られたけど終始冷静で、最後は前向きな話に持っていってくれた、という話がありました。

何かをやらかした人たちに対する対応は、その会社の品性が如実に表れると感じる。

これもその通りだなーーーと。これは会社同士の関係にも人間関係にも当てはまると思います。1つ前の話とも重なりますが、問題を起こした人に対して人格攻撃をする人とは、正直に言って付き合いたいと思いません。そういう人は周囲もどんどん離れていって、誰からも好かれないのでは。結局損をするのは本人だと思います。人格攻撃をしても問題は解決しないし誰も幸せにならない気がするんです。そんなことしてる暇あったら冷静に前向きに、起こったことに対して協力して対処することを考える方が100倍生産的だと思います。気をつけようと思います。

・前々から思っているのですが、経営者も人間なんですよね。それは南場さんも同じじゃないかなと読んでいて思いました。部分部分では世の中の人の平均よりも能力が高いのは確かだと思うのですが(そもそもビジネス経験がハンパないので当然ですね)、やっぱり最初はたくさん失敗しているし、その度に挫けそうになりながら、色々な人に助けられて、泥臭く泥臭く頑張ってなんとか踏ん張って再起していく。結局順風満帆に進む人生も会社もないのだと思います。

許されるなら孫正義さんの鞄持ちをしてみたい。(中略)私と同じ24時間しかない1日をどうやって過ごしているのか、時間配分だけでなく、パソコンのデスクトップに何を置いているのか、独り言は言うのか、ゲームは何をやっているのかなど、いろいろ関心がある。

これって、一般人が有名人に対して思うことと全く同じだと思うのです。それこそ南場さんに影響を受けた社会人は南場さんに対して全く同じことを考えていると思います。だからこの「自分よりすごいと思っている人の行動や考え方を詳しく知りたいという気持ち」は有名経営者であってもそうでない庶民であっても同じだと思います。これは庶民としてはとても勇気の出る話だし、前向きになれますよね。その意味でこの思いをぶちまけてくれた南場さんに感謝したいです。

DeNAで模範とされている仕事への姿勢に「自分の仕事に対するオーナーシップと思考の独立性を自然に持ち合わせている」というのがあるようで、これもとても大事だなと感じます。僕の場合は、ある時から仕事でこの感覚を強く持てるようになり、同時に、それまでの人生がウソのように仕事が楽しくなり、成果も出て、評価もしてもらえるようになりました。責任感も自然に適度に生まれて、なんというかすごく健全な状態で仕事ができるようになったのを覚えています。その時は環境的な要因が大きく作用してこの感覚に至ったのですが、思考も行動も自分に独立性が認められているというのはとてもワクワクするし頑張れるものです。会社としてそういう環境を作るのも非常に大事なのでしょう。

・最近話題になっているメディアサイトの問題と絡む部分として書き留めておきたいのは、現社長である守安さんの「任せる勇気」について言及されていたこと。これを南場さんは高く評価しているようでした。僕個人も、組織の行動のスピード感や現場のオーナーシップを高く保つためには、現場への権限委譲はかなりの度合いで行うべきだと思うので、この方針には賛成だなと思いました。ただ、問題になった例のメディアサイトの運営ではこれが裏目に出てしまったということではないかと思います。各種報道でも「社長の守安氏はマニュアルの内容を把握していなかった」という点が取り上げられたりしていますが、これは大規模の会社であれば当然の話だと思うのです。

それは決して無責任なのではなくて、その内容まで含めて事業の責任者や現場の人間に「任せ」て、その上で問題が発生した場合の最終責任は社長である自分が負う、という形の責任のとり方として十分にアリではないでしょうか。むしろ守安さんが各事業の現場のマニュアルをいちいちチェックしていたら、もっと重要な経営判断の仕事がおろそかになりえます。それだけでなく、事業責任者や現場の人間は「自分たちは社長に一切信頼されていない」という印象を持ってしまう可能性もあり、それは彼らのパフォーマンスを著しく下げます。会社の中核となるようなマニュアル、例えば小売業で全店舗に適用するもの等であれば社長が見るものかもしれませんが、今回はそうではない。見ない場合のリスクも全部わかった上で現場に任せていたはずだし、その方針自体は正しいと思います。そして事実、社長はじめ経営トップの3名が記者会見を開いて謝罪し、対応を発表し、社長は減給も申し出るという形で責任をとっています。起こったことは僕もヒドいものだと思うし、この対応だけで許されるわけでは全くないけど、現在のところしかるべき対応はとっているというか、筋は通っているのではないでしょうか。(ていうか記者会見の映像見てたら守安さんを尊敬する気持ちと南場さんに対するいたたまれない気持ちが猛烈にこみ上げてきて泣きそうになったんですが皆さんどうだったのでしょうか…)

DeNAの内情について詳しくない人間が勝手なことを書いてはいけないかもしれませんが、今回の問題の要因になったのはごく一部の人達だけなのではないかという気がしています。第三者委員会では企業風土なども含めて原因の究明を行うようですが、少なくとも本書を読む限り、企業風土はむしろこういった問題を起こす可能性が低いものではないかと思います。過去にゲームで何度も社会問題化した経験は確実に活かされている印象を受けます。知的に優秀で仕事に熱心な人が集まる会社であることは間違いないと思いますので、誠実な対応で再起を図ってくれると信じています。

 

注: この記事は元々noteに載せていたものをタイトルを少し直して掲載しています。

行動と成果を分けて考える

会社を作ること、社長になること、というのは誰でもできます。正確には15-20万円くらいのお金と、人並みの書類作成能力と、書類を作って提出する数時間が確保できれば誰でもできます。書類作成や提出は代行業者がたくさんいるので、もっと言えばお金がもう少しあればそれだけで会社を作れます。

人の採用も似ていて、誰でもできます。お金を用意すれば、人を選ばない限り誰でもできると思います。さらには、商品を作る、ウェブサイトを立ち上げる、広告を作るorウェブで打つ、などなども、誰でもできます。知識がいるものもありますがほとんどグーグルが教えてくれるので、時間さえ投下すれば難しくありません。

何が言いたいかというと、行動と成果は別だということです。会社を作って社長になり、モノやサービスを作って広告を打つ、あるいは営業に出る、そして人を採用する、オフィスを構える、といったことはすべて行動であり、成果ではありません。全部やったところでそれだけでは何の成果も出ないし顧客もゼロ、売上も利益もありません。

全部「やればいい話」なわけです。自分で行動すればできることなのです。その上で成果が出るかどうかはまた別の話。かっこいい名前の会社をイケてるエリアに設立してその社長になり、オフィスを構えて社員を何人も採用して、どどーんとプレスリリースを打ったところで、直接的には1円の売上も立たないのです。

それなのに、前述したような行動をとっただけで、成果が出ているとか会社として上手くいっているとかいった印象を持ってしまう人があまりにも多いと思います。それは起業家にもそれ以外の人にも両方に存在すると思います。

起業家として上記の行動をとっただけで会社がうまくいっていると錯覚する人はかなり危ないと思うし、自分も常に気をつけています。ひとつひとつの行動が売上を生むのか、あるいは将来的に売上につながるのか、そういうことは常にシビアに考えています。

とはいえ行動と成果を分けて考えていない人は起業家以外の人の方が多いと思います。自分でやってみないとわからないことなのかもしれません。行動力と行動そのものを賞賛するのは良いのですが、それが成果のような感覚は持つべきでないと思います。そういう人には「いやいや、誰だってできることだよ、やればいいだけなんだから」と僕はよく言っています。

会社なんてマジで誰でも作れるんです。お間違いなきよう。

誰もやらないことをやることの難しさ

せっかく起業したということもあり、どうせなら他の誰にもできないこととか、誰もやろうとしないことに取り組みたいという気持ちがあります。特に僕はゼロから新しいモノを作ったり立ち上げたりするのが大好きなタイプなので、既にあるものとか他の人がやっていることをやるよりも、そうでないことをやった方が、自分としても楽しいし、自分のパフォーマンスというか社会における存在価値も高くなるような気がしています。

 

今自分がやっていることを振り返ってみると、世の中でやる人が少ないことではあるけど、他に誰もやっていないわけではないんですね。やっていることはいくつかありますが全部そうです。とはいえ、「他の人がやっていることを自分がやる」ということに価値がないのか、と言えばそんなことはありません。ただ、理想的ではないなと思うようになりました。理想は誰もやらないことをやることだなと。

 

けどまだそんなものあるわけないか、と思い至りました。「自分にしかできないこと」が発生するほど特殊な能力もなければ特殊な人生も送ってきていないわけです。先日28歳になりましたが、平凡な一般家庭に生まれ、何かの天才でもなく、学生時代から起業経験があるわけでもなく、はたまた大ヒット作品を作ったクリエイターや芸術家でもない人間が、たった28年の人生で唯一無二のものなんて築き上げられるわけがないんです。

 

そんなタイプの人間に「自分にしかできないこと」みたいな唯一無二の命題が見つかるのはきっともっと色々な経験を重ねたあとなんだろうなと思います。量的にはもちろん質的にも経験が足りていない。

 

しかし幸いなことに、今は、会社組織から出て自分で事業を興すという経験をしていますし、その過程で事業のみならず自分の人生についてアホほど真剣に、頻繁に、そして濃密に悩むという経験も同時にしています(これだけでも起業した価値があったと思っています)。それから、社会のあり方や社会を変える方法についても以前より深く広く考えるようになりました。会う人のタイプも様々になりました。これから他にも取り組みたいことは山ほどあります。おそらくそういう経験が質的にも量的にも積み重なっていって、自分の経験が唯一無二になる頃に、他の誰もやらない、自分にしかできないことが見つかるんじゃないかなぁと期待しています。

 

ただ誤解を恐れずに書くと、僕はこれまでの経験も比較的珍しいものになっているとは思います。ありがたいことに時々そう言ってくれる人もいます。たしかに、ゴリゴリのベンチャー企業とスーパー平和な一部上場企業の両方で働いたことがある人は多くないです。ビジネスとアートに同じくらい興味があって、アートの分野で起業する人はかなり少ないです。英語が使えます。海外に行った経験もそれなりにあります。こう見るとわりといいポートフォリオで経験が構成されているとは思います。

 

でも世の中は広いもので、僕なんかよりすごい人、面白い人、すごくてかつ面白い人なんていくらでもいます。会って話したり、そういう人の本を読んだりすると、何一つかなわくてヘコむ人がマジでいます。そういう人に出会う度に「ああ自分はなんて普通なんだろう、なんてつまらないんだろう」と思ってしまって本気でヘコんできました。自分に自信がまったくないわけではないですが、たぶん僕は世間的には「ちょっと変わってる」という程度の存在であって、全然まだまだなんだなと常々思っています。だからこれからもっともっと経験を重ねたいというか、その方がもっと面白い人生が送れそうので頑張っていこうと思います。

 

では、自分にしかできないことがまだない目の前の人生をどうするかと言えば、「なるべく」自分にしかできないことをやりまくるしかないかなと思っています。それを積み上げていくイメージです。

 

それと、自分にしかできないこと、というのともう1つの軸として、できれば世の中に対するインパクトの大きいことをやっていきたいとも思っています(これは最近感じるようになった意識です、昔はあまり興味ありませんでした)。これも今すぐに大きなことをやるのは難しいので、いまできる範囲で「なるべく」大きなことをやり続けていこうと思います。

 

数年後か数十年後かわかりませんが、どこかで、自分にしかできなくてしかも規模の大きなことをできる日が来たらワクワクするだろうなと思います。というかそれを考えるだけでワクワクできるのであとは行動を続けるだけですね。

 

結局、いま自分にできることをやってそれを積み重ねるだけなんだと思うんですよね。大事なのはとにかくやること、そしてしぶとく続けること。

2016年10月 NY滞在での気づきのまとめ

NYはアートに関するすべてのスケールが圧倒的に大きい。日本とは比べ物にならない!

    - まず美術館が大きい、そして数が多い。
      - METの広さは壮大で、NYのど真ん中にあるとは信じられない。どの展示スペースも広く天井も高い。その分作品も大きい。
    - 次にギャラリーが大きい。天井もとても高い。そして数が異常なほど多い
      - ギャラリーが多いのはChelsea、Lower East Side、Upper Eastなどのエリア。BushwickやWilliamsburgにもあるがスタジオが中心。

        - 最も多いのはChelsea。"ここだけで500軒ものギャラリーがある"とも言われ、歩けばいくらでも見つかる。もちろんすべてコマーシャルギャラリー。全フロアにギャラリーの入っているビルもある。もと倉庫街。
        - 次に多いのはLower East Side。オシャレな飲食店が多い中にギャラリーが散在する。Chinatownと接しており、中国語と英語の入り交じる看板の商店も多いエリア。15年前にはギャラリーはほとんどなかったが近年急増中

        - Upper Eastにもたくさんギャラリーがある。このエリアは高級マンションや衣服店などが並ぶこともあり、ギャラリーもやや敷居が高いところが多い印象。アポイントのみだったり、入口に鍵がかかっていたりする。

      - どのエリアのギャラリーもスペースがとても広い。日本のレンタルギャラリーやコマーシャルギャラリーの軽く数倍はあり、天井も倍近く高い。Gagosianのように美術館並みの広さを誇るギャラリーもある
    - そして作品が大きい。また発想も自由で斬新。日本の作品が小粒に見えてしかたない

      - 日本でよく見るようなA3サイズくらいの作品はほとんどなく、どれもメートル級。壁いっぱいのサイズの作品もたくさんあった。大きい分、見たときのインパクトも強い。
      - 大きな作品だからか、発色も強くはっきりしている
      - 発想が自由で斬新。これはNYの風土が大きく影響していると思う。日本と比べてあらゆるもののサイズが大きく、多様な人々や文化が常に交わり、細かいことや他人のことは気にせずに自分のやりたいことを追求する考え方が強い風土だから、作品の発想も自由で独特なものになるのだろう
      - 日本のようにすべてが細かく、整理されていて、他人に気を使い、出る杭が打たれる風土の中では、NYのギャラリーに並ぶような作品は生まれえない
    - アートフェアの数や規模も日本とはケタ違い
      - 伝統的にはArmoryが最大で評価も高かったが、最近NYに進出したFriezeが作品や出店者のセンスの良さで急激に評価を上げている。規模ではまだArmoryの方が上だが、今後はより競争が激しくなる様子
      - Governors Island Art Fairも非常に多くの興味深い作家が展示していた。
    - 作品が大きいからでもあるが、値段も高い。日本では考えられないレベル
    - NYではアートが明確にビジネスとして成り立っている。市場が大きく、お金が流れるからこそ、そこで使われるお金も多い。だからスケールが大きくなる
      - ギャラリストも完全なビジネスマンであることが多い
      - 作家も営業マインドが強い人が多い

      - ただし近年は家賃の高騰で廃業や移転を迫られるギャラリーも多い
 
NYの方が必ずしも日本より良い環境かと言うと必ずしもそうではなく、相違点と共通点が両方ある。ただしNYの方がチャンスが多いことは事実であり重要

    - NYでは日本よりアートが身近な分、作品を買う人も多い。つまり作家にとってはチャンスが多い。しかし、だからこそ作家も多くて競争が激しい。日本もNYもアートで生活できている作家の割合は1割くらい
      - NYでは日本よりアートが身近で、作品に触れる人が多いのは間違いない。作品を見る人も買う人も必ずしも富裕層だけではなく、一般人も買って家に飾る文化はある。
        - 美術館の敷居が低く誰でも来る。無料の曜日や時間帯も設定されている。学校の生徒が先生と一緒に作品の前に座ってディスカッションしたりもしている!
        - ギャラリー街も「行けば何かやってる」と気軽に来る人が多い。犬の散歩しながら見に来る人もいる。日本ではギャラリーがマイナーで、場所を知っている一部の人しか来ないが、この点はかなり違う
        - 飲食店や美容室も必ずと言っていいほど絵や写真が飾ってある。1軒あたりの点数も多い。作家が売り込んで飾ってもらうケースも多い
        - グラフィティやミューラルアートも街中にある。少し歩けば必ず何かある
      - NYの方が作品が多く売れることも事実。ただしそれは作品に触れる人の絶対数が多いからであり、作品を見た人のうち買う人の比率は日本もNYも変わらない
        - 結局"見た人の0.1%"しか買わない
        - → ということは、日本でも作品に触れる人の数を増やせば、売れる作品の数も増えるはず!
      - 作品が多く売れるので作家も多くなり、競争も激しい。
        - 世界中から続々と作家や関係者が集まっているのは事実。"年間2,000人のアーティストが生まれる"とも言われる
          - 日本からも毎年たくさんの作家がやってくる。長く活動している人もたくさんいる
          - 日本よりも現代アートが盛んと言われる韓国からもたくさん作家が来ており、活躍している人の数は日本人よりも多い様子。当然ながらレベルも高かった。
        - しかしその分競争も激しい。結局日本でもNYでも"9割の作家は食えていない"
    - ギャラリーの数はNYの方が圧倒的に多いが、ギャラリー間の競争も激しく、経営が楽なわけではない。どんどんできては潰れていく
    - 日本でも美術品にお金を使う人はいるが、NYとはその対象が異なる
      - NYでは"新しいもの"や"これから価値がついてくるもの"が評価されやすい。だから現代アートが売れる?
      - 日本は既に"価値が確立されたもの"が評価されやすい。だから骨董品やブランド品が売れる。
    - NYでもアート業界はお高くとまっており("snobby")、その雰囲気は日本と変わらない。しかしNYは一般人がそれに気圧されず、自分の興味に従って行動するので、結果として市場が大きい

      - これは一般人の価値観の違いに起因する文化レベルの大きな問題。美術教育を変えれば少し改善できそうだが、どこまで影響を与えられるだろうか
 
日本で現代アートが生き残るには一般人を取り込むしかない。そのために、しがらみや経験など気にせず、やりたいことをどんどんやるべし!

    - 日本で現代アートが生き残るには一般人を取り込むしかない
      - 日本のアート業界は閉鎖的でお高くとまっているので、普通にやっていても広がらない。
      - 特に今はアートの裾野を拡げることにあきらめムードが漂っている。数年前までは一般人にアートに親しんでもらうような試みが多くあったが、どれも上手くいかずに終わってしまった
      - そうした試みのひとつだが、変な方向に行ってしまったのがワークショップ。地方で子ども向けにやったりしているもの。だが、作品が残されることもなく、アートへの関心にもつながっていない。せめて作品を残すべき。参加費が安いことも重要
    - アート業界での経験の有無は関係ない
      - 海外のキュレーターはアカデミックな出身の人が少なく、デザイナーや建築士など、プレーヤー側の人が多い。必ずしもアート業界の経験があるわけでもない
      - アート業界での経験があることで逆にしがらみが生じ、足かせになることもある
      - 日本で増えているアートレンタルのサービスも、まだどこも成功はしていない。業界人がやったから上手くいくというわけではない
        - アート業界ではない文脈でサービス展開したほうが可能性はあるはず

    - 自分を信じて、やりたいことをどんどんやるべし!

リフレクション

いい言葉だなと思ったので書き留めておきます。

最近出会う方の中に自分にとてもよくしてくれる方が多く、とても感謝しているとともに驚いています。僕はいま会社を辞めて&立ち上げて半年で、まだほとんど何も達成していないし、特殊な能力を持っているわけでもないし、周りの人に与えられるものもほとんどない状態なのですが、それでも自分にすごくよくしてくれる人がいるわけです。

で、もうホントにありがたくて、という話を、その僕によくしてくれている方の一人にしたら、それはリフレクションだよ、と言われました。僕が優しいからその反映だと。こんなこと書くのは自分でも恥ずかしいですが、そう言っていただいたのは事実なのでありがたく受けとめています。受けとめきれないくらいありがたいし恥ずかしいですがなんとか頑張っています。

それで思い出したのが高校1年のときのホームステイの経験でした。初めての海外経験で、10日間アメリカの田舎町に滞在しました。得た教訓として、言葉が通じなくても自分が心を開けば相手も心を開いてくれる、みたいなことを帰国後にクラスで話したのを覚えています。今思い返すとよくその年でそんな大層なことを言っていたなと思いますが、そういえばこれもリフレクションだなと。

結局、自分のオーラが相手のオーラに影響して、めぐりめぐって自分に跳ね返ってくるということですよね。 コミュニケーションは自分から行動しなければいけない、と言い換えることもできると思います。前向きな性格は大事にしていこうと思います。

一方で、こうやって人に褒められた時に調子に乗って驕り(おごり)が出てダメになる人もいるのだろうなと思うので、そこだけは本気で気をつけようと思います。人に褒められて満足してしまうかどうかが人間の成長の可否を分けていきます。

小学校の通知表を見た父親が、保護者コメント欄に、これで驕ることのないように頑張っていってほしい云々と書いていました。当時は意味がわかっていませんでしたが今になって身にしみています。謙虚に生きようということは常々思っていますが改めて思い直しています。

幸い世の中には僕より優秀で実績も残している人がたくさんいるので、そういう情報に触れている限りは驕りようがないなと思っています。自分の道を見つけてぐいぐい進もうと思います。